七夕にはどんな由来があるのでしょうか。
その起源や風習、伝説の説明をしていきますね。
七夕の起源は中国の詩歌
七夕といえば、織姫と彦星が年に一度、天の川を越えて会うという物語が有名です。
この物語は、中国最古の詩集「詩経」に起源があります。
日本で言う織姫「織女(しょくじょ)」と彦星「牽牛(けんぎゅう)」の名前がここに初めて登場します。
その後、六朝時代の詩集「文選」の「古詩十九首」によって悲恋の要素が加えられました。
中国の七夕伝説
中国の伝説では、織女は天帝の娘で、神々の衣を織るのが仕事でした。
彼女は恋人も作らず働き続け、その姿を見た天帝は、天の川の向こうに住む牛飼いの牽牛を紹介します。
二人は結婚しますが、やがて仕事を放り出して遊びに夢中になり、神々の衣はボロボロになり、牛も病気になりました。
怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離し、年に一度だけ会うことを許しました。
これが七夕伝説の物語です。
日本への伝来
七夕の物語が日本に伝わったのは奈良時代で、宮中で乞巧奠(きこうでん)という行事が行われました。
江戸時代になると、七夕は五節句の一つとして庶民にも広まりました。
日本の七夕行事の起源
「七夕(しちせき)」が日本で「たなばた」と呼ばれるようになったのは、日本古来の「棚機女(たなばたつめ)」という伝承が関係しています。
棚機女は、選ばれた乙女が神に捧げる衣を機織りする儀式です。
機織り機の名前が「棚機(たなばた)」であり、中国の七夕伝説と融合して「たなばた」と呼ばれるようになりました。
七夕の願い事の風習
日本では、七夕に願い事を書いた短冊を吊るす風習があります。
これは中国の乞巧奠に由来し、織女にあやかって機織りや裁縫の上達を願う行事から来ています。
奈良・平安時代の宮中行事では、里芋の葉にたまった夜露を集めて墨を摺り、梶の葉に歌を書いて願いをかけていました。
江戸時代の七夕行事
江戸時代には、七夕行事が庶民の間にも広がり、笹竹を家の屋根に立てる風習がありました。
これには神を迎える意味や災厄を水に流す意味がありました。
笹竹には詩歌や文芸の上達を願った短冊や切り紙細工が飾られました。
短冊は五色で、陰陽五行説に基づいています。
七夕で笹を使うのは何故か
魔除けの効果
古くから笹竹には神霊が宿ると信じられており、特にお盆の時期に最も青々と茂ります。
この瑞々しさは命の象徴とされ、魔物が嫌うと考えられていました。
健康長寿祈願
夏は体調を崩しやすく、水の事故も多い季節です。
特に子供や高齢者の安全を願い、力強く成長する竹や笹を命の象徴として、健康と長寿の祈りを込めて川に流す風習が生まれました。
抗菌作用
旧暦の7月7日は夏の真っ只中で、供物が腐りやすく、食中毒の危険も高まりました。
笹竹には抗菌効果があり、食べ物を雑菌から守り、腐敗を防ぐために重宝されました。
現在でも、青々とした香りの良い笹の葉が先祖への供物の下に敷かれたり、供物に巻かれたりしています。
笹飾りの種類と意味
笹飾りには多くの種類があり、それぞれに異なる意味があります。
短冊: 学問や書、文芸の上達を願います。
紙衣(かみこ): 裁縫の腕が上がることを願います。
巾着(財布): 蓄財を願い、無駄遣いを戒める意味があります。
折り鶴: 健康長寿や家内安全を祈ります。
吹き流し: 織姫の織り糸を表し、裁縫の上達を願います。
投網(綱飾り): 大漁を祈願します。
ちょうちん:あかりを織姫と彦星にともす。
くずかご: 倹約の心を育てるために紙くずを吊るします。
七夕で食べるもの
そうめん
七夕とそうめんには古くから関わりがあります。
中国では病を避けるまじないとして、七夕に「索餅」という食べ物が食べられていました。
これが変化してそうめんになり、江戸時代には七夕に食べるものとして定着しました。
徳川将軍の七夕の祝膳にもそうめんが登場し、庶民の間でも贈答品として出回っていました。
索餅(さくべい)
伝統的なお菓子の一つに「索餅(さくべい)」があります。これは、小麦粉や餅粉を練り合わせてひねり、揚げたものです。
もともと中国のお菓子で、唐の時代に日本に伝わってきました。
現在でも奈良県の方では「麦縄」として残っています。
また索餅に近いお菓子として、かんりんとうもありますね。
まとめ
このように七夕の由来や笹飾りの意味を知ると、より一層お祭りを楽しむことができるのではないでしょうか?
あなたも織姫や彦星に思いをはせながら、笹飾りを楽しんでくださいね。